日活スターの山内賢さん死去
日活の青春映画で活躍した俳優の山内賢(やまうち・けん、本名・藤瀬賢晁)さんが、24日午前4時53分、肺炎のため都内の病院で死去した。67歳だった。25日に東京・杉並区の築地本願寺和田堀廟所で通夜が営まれ、約300人が参列、悲しみの対面を果たした。
青春映画のスターとして日活の黄金期を支え、グルメリポーターとしても活躍。1979年からスタートしたテレビドラマ「あばれはっちゃく」シリーズでは、主人公の担任の先生役として人気を集めた山内さんが、がんとの闘病の末、静かに逝った。
最初に異変が見付かったのは2003年。左肺がんと診断され、摘出手術を受けた。その後、06年に右肺への転移が発見され、再度摘出。以降、転移が見付かるたびに、抗がん剤治療を受けていた。今年3月には脳への転移が見付かり、8月に放射線治療のため3週間入院。妻の敦子さん(56)によると痛みや副作用はなく、抗がん剤で髪が抜けることだけを嘆いていたという。
今月13日に肺炎で39度の熱が出て体調が急変。緊急入院した。何度も病魔に打ち勝ってきた山内さんだったが、ついに力尽き、家族と言葉を交わしたのは22日の「みんなに感謝!」が最後。敦子さんは「最後の10日間は、初めてと言えるくらい、家族でホンワカして過ごすことができました。ただ『みんなに感謝!』の言葉は、私たちだけでなく、芸能界の仲間も含めた皆さんに向けたものだったと思います」と言い、目頭を押さえた。
この日の通夜では、バンダナ姿でほほ笑む山内さんの遺影が参列者の涙を誘った。出演していたNHK・BSの「中高年のための登山学」で、02年に富山・剱岳に登った際に撮影された、本人お気に入りの一枚。棺(ひつぎ)の上には山内さんの母の写真、よく着用していた濃紺の上着、零戦好きだった山内さんのため、次男の宏之さん(24)が作った模型が置かれた。
戒名は常慶院高岳賢尚居士(じょうけいいんこうがくけんしょうこじ)。葬儀・告別式は26日午前10時半から同所で営まれる。
青春映画のスターとして日活の黄金期を支え、グルメリポーターとしても活躍。1979年からスタートしたテレビドラマ「あばれはっちゃく」シリーズでは、主人公の担任の先生役として人気を集めた山内さんが、がんとの闘病の末、静かに逝った。
最初に異変が見付かったのは2003年。左肺がんと診断され、摘出手術を受けた。その後、06年に右肺への転移が発見され、再度摘出。以降、転移が見付かるたびに、抗がん剤治療を受けていた。今年3月には脳への転移が見付かり、8月に放射線治療のため3週間入院。妻の敦子さん(56)によると痛みや副作用はなく、抗がん剤で髪が抜けることだけを嘆いていたという。
今月13日に肺炎で39度の熱が出て体調が急変。緊急入院した。何度も病魔に打ち勝ってきた山内さんだったが、ついに力尽き、家族と言葉を交わしたのは22日の「みんなに感謝!」が最後。敦子さんは「最後の10日間は、初めてと言えるくらい、家族でホンワカして過ごすことができました。ただ『みんなに感謝!』の言葉は、私たちだけでなく、芸能界の仲間も含めた皆さんに向けたものだったと思います」と言い、目頭を押さえた。
この日の通夜では、バンダナ姿でほほ笑む山内さんの遺影が参列者の涙を誘った。出演していたNHK・BSの「中高年のための登山学」で、02年に富山・剱岳に登った際に撮影された、本人お気に入りの一枚。棺(ひつぎ)の上には山内さんの母の写真、よく着用していた濃紺の上着、零戦好きだった山内さんのため、次男の宏之さん(24)が作った模型が置かれた。
戒名は常慶院高岳賢尚居士(じょうけいいんこうがくけんしょうこじ)。葬儀・告別式は26日午前10時半から同所で営まれる。
by enni2011 | 2011-09-26 09:39 | エンタメ総合